【稲川通信26】 祖父・代右衛門秋恒のこと

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父の代右衛門秋紀は祖父の代の世禄百四十石を二十石減禄されて、家督を嗣いでいる。その減禄の理由は定かではないが、祖父代右衛門秋恒が減禄の要因をつくったようだ。
 祖父の略歴は、つぎのとおりである。

安永六年御番入。天明六年遺跡相続。寛政三年御納戸。同四年大坂詰め。同八年中間(ちゅうげん)頭。同十二年群奉行。文化三年蒲原水抜き一件、心配不行届につき御沙汰及ばされる。同四年新潟町奉行者頭格。同十一年者頭同格勘定頭。文政二年五月御慰御認 ?御画(雨龍画)之を下さる。同年九月大坂立帰り。同五年十二月家中困窮につき、御仁恵仰せ出されしに、取締方不行届、心得等閑につき御叱。同七年三月御役格式共御免。同年五月隠居。文政十三年閏三月二十八日病歿。

 河井家三代目秋恒は順調に官吏の道を歩むが、三潟干拓事業に配慮が足りなかったと口頭注意を受けた。しかし、有能であったらしく、群奉行・新潟町奉行・勘定頭に累進し、大坂出張(蔵屋敷の運営や大坂商人からの金子借用か)も体験した。
 ところが文政五年(一八二二)、何らかの会計上の失敗で責任をとらされている。これが致命的な欠陥となって勘定頭や者頭格にまで上り詰めた役職をやめさせられ、格式をとりあげられている。
 同時に隠居となり、代右衛門秋紀が家督を相続する。結局、祖父は文政十三年、失意のうちに没するが、その無念さを、孫の継之助秋義が嗣ぐことになる。

(稲川明雄)

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