【稲川通信40】金華山などに登る

 継之助は川島億次郎(三島億二郎)とともに東北を遊歴し、金華山にも登ったという。
それは継之助が三十歳の安政三年(一八五六)のころだといわれている。温海(あつみ)・石巻・仙台らを廻国したとあるが、藩主牧野忠雅が、しきりに藩士に奥羽・蝦夷(えぞ)を探索させたが、その一環かもしれない。
 旅日記『塵壺』からうかがうと、登山に挑戦しなければならないという性分だったようだ。富士山や大山(だいせん)を眺め、しきりに登山の機会をうかがうが、断念せざるをえず、無念の思いが伝わってくる記事がある。
 金華山は信仰の山であり、とりわけ興味を持ったこともうかがえる。たとえば、西国遊学の途中、芸州宮島に立ち寄り、ふとみあげると弥山(みやま)があり、そこへ登ったというのである。また、金華山に登る際は、案内人をたてるものだが、「あきれた覚えがあるゆえ」二人で登ったとある。たぶん、継之助の合理的思考が俗の信仰を排除したのかもしれない。

 川島とまた連れだって越後魚沼の妻有郷(つまりごう)にも遊んだとあるから、よほど高山や峡谷に興味を持っていたことが察せられる。

(稲川明雄)


(※金華山は紺碧の海に浮かぶ霊島で野生の鹿や猿が生息しており、また金華山西側中腹には黄金山神社が鎮座している)

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2019年1月20日 | カテゴリー : 稲川通信 | 投稿者 : kawai03