継之助通信

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ブログ一覧

有料来館者数135,000人達成!

天候の悪い日が続きます。皆さん、体調管理に気を付けてくださいね。

 

さて、記念館では25日に有料来館者数135,000人を達成しました!

135,000人目の来館者は栃木県からお越しの市田様ご夫妻。

先月も長岡へ来られ、宝徳稲荷や北越戊辰戦争伝承館を見学されたそうです。

今回は長岡市文書資料室長で、当館友の会でも講演されたことのある田中洋史先生の講演を聴いたあと寺泊に宿泊されたそうです。

当日は五十六記念館を見学されたあとに当館に来館されました。

「長岡はすばらしい人材を出し続けていて、先人を大事にしているところが良い」とおっしゃられました。

 

友の会にも入会してくださり、「また訪れます」と言って帰られました。

また長岡に来られた際はぜひお立ち寄りくださいね。

事務局一同、お待ちしております。

2018年11月30日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : kawai01

稲川通信39】雌伏の時代

 JR長岡駅の東口から、しばらく北へ歩くと、日本互尊社の(もり)に行き着く。千六百余坪の森の中に、木造の社屋と、長岡空襲に遭った長岡市の中では一番古い鉄筋コンクリート造りの如是蔵博物館がある。日本互尊社は、実業家であり互尊思想を提唱した野本恭八郎(号・互尊翁)が創設した財産法人である。その発足前後の昭和十一年(一九三六)に互尊翁が歿したので、その後の運営は市民の有志によって支えられている。
 如是蔵は、仏教でいう知恵の蔵という意味であるから、野本恭八郎は、あらゆる文化財や人間の歴史に関する物品を集めようとした。とりわけ、野本は長岡の人物誌にこだわっていたから、二階は山本五十六(いそろく)元帥の遺品コーナーとなっている。

 野本恭八郎は嘉永五年(一八五二)生まれであるが、直接、河井継之助と面識はなかった。生れは幕府領の小国郷の出身である。その野本が長岡城下の渡里町の野本家に養子できたのは明治五年(一八七二)、二十一歳のときである。野本は生涯にわたって河井継之助を敬愛したという。その如是蔵博物館三階展示コーナーに、二幅の河井継之助の書が展示してある。いずれも王陽明の詩である。

険夷もと胸中に滞らず 何ぞ異らん浮雲の大空を過ぐるに 夜は静かなり海濤三万里 月明錫を飛ばして天風に下る

渓石何ぞ落々たる 渓水何ぞ冷々たる 石に坐して渓水を弄び 欣然として我が(えい)を濯う
渓水清くして 底見われ 我が白髪の生いたるを照す 年華は流水のごとく 一たび去って回停するなし 悠々たり百年の内 吾が道終に何をか成さん

 この二幅の詩は王陽明が三十六歳と三十七歳のときのもので、流謫(るたく)の地の新境地の開眼を示すものである。この詩を好んで書いた継之助の心をあらわすものとして必見の書である。

(稲川明雄)

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2018年11月29日 | カテゴリー : 稲川通信 | 投稿者 : kawai03

有料来館者数134,000人達成!

天候の不安定な日が続きます。皆さん風邪等ひかないよう暖かくして過ごしてくださいね。

さて、記念館では11月8日に有料来館者数134,000人を達成しました。
134,000人目の来館者は市内在住の岡村さまです。

前々から記念館を知っており、念願かなって訪れることができたそうです。
今日は他の博物館も見学することができ、充実した1日だったとのことです。

映画化の知らせもあり、長岡から継之助の魅力を発信していただきたいとのことでした。

また近くに立ち寄ることがありましたら、記念館にいらしてください。

2018年11月11日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : kawai01

【稲川通信38】評定役随役に抜擢される

 長岡藩の評定役は、藩政全般を協議する。その構成員は家老・中老・奉行、それに民政をあずかる宗門・町・群奉行が加わる。随役とは、その(はやく)に特別に関わることをいう。長岡藩では重要な役目だ。  それに継之助は任命されて帰国した。国元では当惑した。まだ部屋住みの青二才が評定所に出勤してきて、発言を要求したのである。家老・大目付とも驚愕(きょうがく)した。
「その言ふ所、高尚に過ぎ、時勢にそばず(中略)人望に乏しく、(かえっ)て人心を傷うの憂ひあり」という。たぶん、堂々と自らの改革案を提示し、江戸の情勢を説明したのだろう。  家老の山本勘右衛門、大目付の三間安右衛門らは早速、江戸へ飛脚を立て、藩主の牧野忠雅(ただまさ)にうかがいをたてる一方、「斯る場合は藩主より、一応国家老に相談あるべき慣例だ」と主張し、河井継之助が登庁するのを拒んだという。しかし、継之助は意に介さず出勤したが、忠雅の返答が「継之助の性格はやはり駄目か、では、いたし方ない」ということで、ついに数旬を経ずして、排斥され無役となってしまった。
 十代藩主牧野忠雅は、河井継之助の才をめでて登用したが、それは結局、継之助の排斥につながってしまう。ただ、藩庁は継之助に四、五年の経験が必要だと答申もしているから、実力を知ることになれば登用もありとしたのだろう。その後、継之助は門閥制度を廃止する改革案を提出しているから、双方の確執が深まり、継之助が孤立化してゆくことになる。

(稲川明雄)

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2018年11月5日 | カテゴリー : 稲川通信 | 投稿者 : kawai03

有料来館者数133,000人達成!

天候不順が続いています。皆さん、体調管理に気をつけてくださいね。

 

さて、記念館では先月19日に有料来館者数133,000人を達成しました!

133,000人目の来館者は東京からお越しの横田さま。

「今日は出雲崎の祖母の法要のために長岡に寄りました。

『峠』を読んでおもしろかった事もあり、記念館は知っていたので良い機会と思い、来ました。

大変立派な方だったんですね。

『みの』がきれいなまま長岡に届けられたことからも、皆さんに慕われていた事がうかがえました」

 

とのことでした。

また長岡に立ち寄ることがありましたら、ぜひ記念館にお立ち寄り下さいね。

2018年11月3日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : kawai01