継之助通信

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有料来館者数144,000人達成!

記念館では9月5日に有料来館者144,000人を達成しました。

144,000人目のお客様は、埼玉県鶴ヶ島市よりお越しの新舎規由様です。

今日は「長岡に来たら一番に記念館へ行かなければダメだ!」との思いを胸に、勇んで玄関をくぐったそうです。
館内を見学の後、「河井先生の業績を多くの方に知っていただきたいと思っています」との言葉をいただきました。

映画『峠 最後のサムライ』公開を皮切りに、河井継之助の業績が広く知れ渡ると良いですね。

本日のご来館、誠にありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。

2019年9月20日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : kawai01

有料来館者数143,000人達成!

記念館では13日に早くも有料来館者143,000人を達成しました。

 

当日は台風の影響でとても暑い日となり、ご来館いただくお客様も口々に「暑い!!」「長岡って暑いんだね!」とおっしゃって玄関に入って来られます。

そんな中、143,000人目のお客様は東京都府中市からお越しの石川様親子です。

地理がお好きな娘さんとフリーキップで出かけられ、たまたま長岡に降り立ったそうです。

山本五十六記念館と当記念館をご覧になられたとおっしゃっていました。

娘さんと二人旅なんてうらやましいですね!

是非お二人で記念のお写真を撮っていただきたかったのですが・・・。

また長岡にお立ち寄りの際は是非記念館にお立ち寄りください!

 

当館に来られる方の中には、継之助が遊学中に記した旅日記『塵壺(ちりつぼ)』の足跡をたどって旅行されている方もいらっしゃいます。

是非、機会がありましたら皆さまも挑戦してみてください。

2019年8月20日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : kawai01

有料来館者数142,000人達成!

毎日厳しい暑さが続いています。皆さん熱中症にならないように気をつけてください。

8月2日・3日、長岡花火の開催日が金・土曜日となったことや、知名度が高まったことで、記念館にも大勢の方々が来られました。

そんななか、3日に有料入館者142,000人を達成しました!
142,000人目の来館者は埼玉よりお越しの江頭様親子。

2日に湯沢に泊まり、3日に長岡花火とのこと。
長岡花火はいかがだったでしょうか?

ご主人様は歴史や城めぐりがお好きということで、このあとに山本五十六記念館や春日山城跡に行かれるとのこと。
「長岡の礎となる先人たちがすばらしいですね。
来年公開予定の『峠 最後のサムライ』も楽しみです」
と目を輝かせながらお話してくださいました。

この度は、ご来館まことにありがとうございました。
また長岡にお立ち寄りの際は、ぜひ当館にお越しください。

2019年8月12日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : kawai01

有料来館者数141,000人達成!

記念館では7月13日に有料来館者数141,000人目を達成しました。

141,000人目は、熊本よりお越しの田上次徳様。

お城巡りが趣味で、時間があると全国を歩き回っていられるそうです。
長岡は、お城が残っておらず勿体ないと思う反面、地名から当時の名残がわかるので面白いとおっしゃっていました。

ちなみに、長岡は数年前に花火を見に来て以来とのこと。
今日は、遠路はるばるご友人に会いに来られたそうで、話しているうちに懐かしい気持ちになったそうです。

閑話休題。
13日はガイドボランティアも滞在しており、お話を交えながら数時間かけて館内を見ていかれました。充実した時間を過ごしていかれたようです。
この後、山本五十六記念館へも足を運んでみるとのことでしたが、いかがだったでしょうか。

ご来館、誠にありがとうございました。
またの来館を心よりお待ちしております。

遠方からのご来館ありがとうございました。

2019年7月26日 | カテゴリー : お知らせ | 投稿者 : kawai01

【稲川通信41】宮路村の騒動

 改革を推しすすめると当然、軋轢が生ずる。長岡藩でも十代藩主牧野忠雅の強力な改革案が安政年間に推しすすめられたが、農村では庄屋層と本百姓の間で騒動が起きた。
 長岡藩北組宮路村は三十数戸の小村だが、もっとも典型的な騒動が起きていた。
 継之助は、その騒動の対処を担当する外様吟味役に就いた。安政五年、三十二歳のときである。外様吟味役は無役の藩士の中から、有能な人材を選んで、難事の審判を行なう役目である。しかし、この宮路騒動は村民間の騒動としては根深く、何人もの外様吟味役が入っても解決できないでいた。
 そもそも、この騒動は農村側が庄屋の搾取を北組代官所に訴え出たことからはじまっている。改革によって副業の推進がはかられたが、増収となると、その何割かを庄屋がピンハネしたというものであった。農民側は庄屋の不正を訴え出たが、庄屋は村役人として当然の権利だと主張した。庄屋の人望が薄かったことが、なおいっそう様相を複雑にした。
 継之助は宮路村に約二十日間常駐し、庄屋・農民の双方を裁断した。そのとき、詠んだ漢詩がある。

古哲は片言にして大事を定む 二旬の勤苦も未だ全く安からず
鈍刀断たず徒らに物を傷く 磨琢誰か霜刃をして寒からしめん

 宮路村の騒動での己れの非力さと体制の矛盾を嘆いている。このときの誰も救えない無念の思いが再度の遊学につながってゆく。

(稲川明雄)

2019年6月28日 | カテゴリー : 稲川通信 | 投稿者 : kawai03