有料入館者115,000人達成!

先週県内も梅雨入りし、庭の片隅に紫陽花の咲く記念館では今月22日に有料入館者115,000人目のお客様をお迎えしました。
ブログ用
八王子からお越しの3人の姉弟とそのご家族の方々です。
お声かけをしたところ「まあ!ラッキーですね!!」と驚かれ、記念品をお渡しした際には、ご家族で喜んで頂けました。
継之助の銅像の前で写真を撮り、継之助の人物について説明すると、その人柄に関心されていました。

長岡には当館と山本五十六記念館を訪ねて来られたそうです。十日町のベルナティオに宿泊されるそうです。

長岡の旅行を、良い思い出にしていただければと思いました。

【稲川通信33】 継之助の読書好き

継之助の読書好きは、長岡城下でかなり著名だった。妹の牧野安子が後年、語るところによれば、「兄は毎々、書物を汚すようでは、駄目だと申していましたが、書物は非常に好きで、宅にいました時分には、夜など四角の行灯の三方を囲って、一方を明るくし、夜遅くまで勉強していました。二十歳前後のことと思いますが、他所から書物を借りて、藩の祈?寺の玉蔵院に、毎日籠って、すっかり写し取ったそうです。この書物は、いま森家にあります」と述懐している。森家とは森源三家。
その玉蔵院は長岡城に接した東北の一郭にあった真言宗寺院。いまは同寺と縁のあった長岡市柏町の千蔵院が管理する歴代住持の墓碑群を残し、跡形もない。伝説によれば、巨大な本堂を有し、寺格・規模とも城下第一の寺だった。寺の正面に並んだ侍屋敷を玉蔵院町と称した。寺跡のおおかたはJRの線路敷きの下となっている。
その玉蔵院は若い藩士たちに文武修練の名目で本堂などを開放していたらしい。また、河井継之助が兵制改革をした際にも、練兵場として使われている。
継之助は玉蔵院が貴重な書物を写し取っている。すなわち、嘉永二年(一八四九)からの筆写である「続近世業語抄」「柴野彦助上書」「明朝紀事本末抜書」などである。
現在、継之助筆者の呻吟語など、現存する筆写本は三本にすぎないが、河井継之助の人間形成を知るうえで、貴重な資料である。

(稲川明雄)

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有料入館者114,000人達成!

長岡では雨が続き、肌寒い日が続いています。

さて、記念館では24日に来館者数114,000人を達成しました!
来館者記念

114,000人目の来館者は東京からお越しの笑顔の素敵な岡崎さんご夫婦です。
ご夫婦で旅行されていて、前日には弥彦、新発田と三条を観光されたそうです。
お二人で会話を楽しみながら、ガトリング砲などを写真に収めていました。

「ありがとうございました」と爽やかにあいさつをされて次の目的地の吉乃川に向かわれました。

【稲川通信32】 盆踊りを楽しむ

夏のある夜、長岡城下の辻々で、盆踊りがある。たいがい辻には老大樹があって、その周りを長岡甚句にあわせて踊る。音曲は甚句だが、三味線・笛・木樽の太鼓が中心で、たまに鐘をならす者もいた。
継之助は盆踊りが大のお気に入りで、若いころから変装して参加したという。妹の安子の着物を借りて女装したり、鳥追いの笠をかむり、着流しに脇差を差しはさんだ姿で出掛けたこともあったと伝えられる。
継之助は長岡甚句を歌わせると抜群だった。やや高音の澄んだ美声が朗々と響いたという。
この盆踊りに武士の参加は禁止されていた。盆踊りは領民の無礼講として、二百年以上にわたり、武家の参加を許さなかった。継之助の参加は、もちろん、役人(足軽)にみつかれば、それなりの処罰があった。そんな危険を冒しても、盆踊りに参加したかったのは、生来の性癖か、それとも庶民生活を知り、政治というものの眼を養おうとしたのかもしれない。
長岡藩領では、この盆踊りに必ず長岡甚句が歌われた。甚句は武家踊りともいわれたが、その歌詞は、領民の悲哀を歌ったものが多い。

お山の千本桜、花はさくなる実は一つ、九百九十九はソリャ無駄な花
だいらうだいらう角を出せだいらう、角を出さねば代官所へことわる
お前だか左近の土手で、背中ボンコにして豆の草取りやる

(稲川明雄)

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有料入館者113,000人達成!

ゴールデンウィークが始まり、街中が賑わっています。

さて、記念館では今月1日に有料入館者113,000人を達成しました!
113,000人目の来館者は埼玉からお越しの勝又様。

ブログ用

観光で長岡に来られたお二人は、旦那様が歴史好きで五十六記念館に行かれた後に当館に来館されました。
ガトリング砲に興味を持たれ、写真を撮ったり、ハンドルを「軽い」と軽快に回されていました。

笑顔が素敵なお二人、また長岡にお越しの際は是非お立ち寄りください!

平成29年度総会・講演会・懇親会のご報告

先月22日に友の会総会・講演会・懇親会を開催しました。

 

総会では参加者により第1~3号議案が承認されました。

 

講演会では2012年に『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命』で司馬遼太郎賞を受賞した片山 杜秀さんをお迎えし、演題「河井継之助から日本の近代へ」をご講演いただきました。

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ご自身が以前小千谷で飲まれたという「小千谷サイダー」のエピソードから始まり、陽明学と朱子学の違い、アジアと西欧における「龍」の捉え方の違いなど、様々なことをお話し下さいました。

参加された皆さんもメモを取りながら聞き入っており、書籍を引用しての陽明学に関するお話はとても考えさせられる内容でした。

 

その後の懇親会も片山さんをおむかえし、詩吟教室の方々の「長岡城の歌」に耳を傾けつつ、とても楽しい会となりました。

片山さん、本当にありがとうございました。

 

友の会の新たな一年が始まりました。

今後も河井継之助記念館ならびに友の会をよろしくお願いいたします。

越後長岡 歴史館・博物館めぐり【4/1~11/30】

陽射しも強まり、絶好のお出かけ日和となってきました。

皆さんゴールデンウィークはどこかへお出かけされますか?

 

さて、お知らせが遅くなってしまいましたが、今年も4月1日より『越後長岡 歴史館・博物館めぐり』が開催されています。

めぐり

当館も参加しているこのスタンプラリーは、スタンプを集めて有料施設の入館料割引や、協力店でのお買物・お食事の割引、美味しい特産品プレゼントなど、様々な特典があります。

(プレゼントの応募・交換はまちなか観光プラザにて行われています)

 

記念館は5月も休まず開館しています。

土日は当館ガイドボランティアさんが無料でガイドをしておりますので、皆さんぜひご来館ください!

 

【稲川通信31】 桶宗の結成

三島億二郎の兄・伊丹政由が首領となった「桶宗」は、城下の若者組のようなものであったらしい。『北越名士伝』に桶宗(そこでは桶組となっている)をつぎのように紹介している。

君之ち、三間市之進・花輪馨之進・渡辺進の諸士と約し、桶組と名く。蓋し、箍桶 (けん)水を漏さざるの義に取ると云ふ。三士()と長岡の三進と称す。皆、卓抜の名あり。初め、此群に入る者三十五名、後百余名に至る。

 これによれば、河井継之助が三間・花輪・渡辺の三子と桶宗を結成したことになっている。
『三島億二郎傳』などには、小林虎三郎や川島億次郎・鵜殿団十郎など、幕末の長岡藩を背負う人材が集まったとあるから、若者の精神の陶治に一役買った集団教育であったものと思われる。もっとも野僕(やぼく)を好み、剛健、しかも勉学にいそしんだものといわれている。
『北越名士伝』では、河井継之助よりおよそ十歳くらい若い者たちが結成に尽力したことになっている。河井継之助は、のちに藩政を担当すると、この桶宗グループから登用し、改革の中心人物としたり、北越戊辰戦争では軍事掛や名隊長・使番・御金奉行などの要職に就かせていった。
 なお、この桶宗の顧問格には、藩儒山田到処(愛之助)がなっていた。首領であった伊丹政由は、その天分を発揮することなく、二十九歳で病歿し、名は世に出なかった。

(稲川明雄)

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平成29年度総会・講演会・懇親会を開催します【締切】

 

桜のつぼみも日に日に膨らんで春の訪れを感じます。

さて、記念館では今月22日(土)に総会・講演会・懇親会を開催します。

第1部

総会(午後2時~2時30分 受付開始:1時30分から)

第2部

講演会(午後2時45分~4時)

演題「河井継之助から日本の近代へ」

講師:慶応大学教授・片山杜秀(かたやま もりひで) 氏

第3部

懇親会(講演会終了後) ※会員限定・会費5000円

 

申込みは4月16日(日)までとなっております。来館・電話・FAXのいずれかでお申込みください。

詳しくはこちらをご覧ください。

開館10周年記念講演会

3月18日(土)、長岡グランドホテルにて河井継之助記念館開館10周年記念講演会が行われました。

今回の講師は気鋭の女流小説家として活躍されており、新潟日報で連載された小説「龍が哭く」の著者、秋山香乃さん。

秋山さん講演の様子

当日は天候にも恵まれ満員御礼の会場内、執筆秘話を交えての講演に聴講者の方々はメモを取りながら聴き入っていました。

講演を聴かれた方は是非記念館に感想などお寄せください!